古代アンコール帝国の都市・建築にまつわる私的七不思議の探求

 コンポン・スヴァイのプレア・カーンは,カンボジアにおける最後の秘境となる大遺跡である。ここは古代アンコールでは常軌を逸した5km四方という巨大都市の痕跡で,東を正面に構える原則を逸脱して,大きく28度も回転して配置された。この類例なき古代の都市計画は,帝国の版図全域におよぶ国土計画と連携していたようである。この壮大な計画が「私的」七不思議の第一である。謎に満ちた計画の全体像を追いつつ順に他の不思議を列挙したい。

この古代都市の中央に配された石造りの大伽藍を通り,主軸線に直行する線を南東,北西の両側に大きく延伸しよう。すると南東には67kmの地点で7世紀の古代都市サンボー・プレイ・クック遺跡群に遭遇する。東南アジアにおける集権国家の萌芽を示す古代都市で,東に宗教地区,西に政治地区が配された。9世紀以降のアンコール帝国では,神王を同一のものと見做し,宗教と政治の中心を重ねるまさに祭政一致の都市が構想されたが,ここでは王と神は未だに別物で,そのため都市には二極が必要であった。「私的」七不思議の二題目は,この古代都市の全貌解明にある。これによって古代アンコール帝国における都市の出現,つまり国家的な制度と社会の発現の様相が明らかになろう。

一方,プレア・カーンより北西方向に45km直線を延伸すると,今度は10世紀半ばの王都コー・ケー遺跡群に到達する。この都市は短命にして潰えたが,故に都市を構成する施設のセットを考える上で有用なサイトである。加えて,短命であったが故に遺構の建立年代は明らかで,アンコール建築史を構築する上で重要な指標となりえる。「私的」七不思議の第三は大袈裟なことになるが,古代アンコール建築を通史として改めて構築することにある。近年,カンボジア国内の道路事情は急速に改善され,遺跡の悉皆調査が可能となった。アンコール建築史は点から線へ,そして面への広がりを獲得する時代に入りつつある。

さて,コー・ケー遺跡群に到達した直線を南西方向へ直角に折り曲げて再びその先を追ってみよう。するとこの直線は84km先でアンコール遺跡の二大寺院アンコール・ワットとバイヨンの間に滑り込む。アンコール遺跡群における古代都市の様相は,最近実施された航空測量調査によって劇的に鮮明になった。密林の中からは,複雑な都市構造が浮かび上がり,まさにアンコール都市研究のブレークスルーとなる画期的な成果であった。特に注目されるのは,帝国の最盛期に築造された王都アンコール・トム内外に現れた不規則な格子状の水路と土手による構造である。勾配0.1%というほぼ平坦な大地に半年間の厳しい乾季を乗り越えるための緻密な水利施設が築かれた。「私的」七不思議の第四はこの水利構造の解明にある。

この王都アンコール・トムの中心には,日本政府が長年にわたり修復工事を進めるバイヨン寺院が位置する。アンコール建築史上の到達点であり,かつ特異点でもあるこの寺院において解明すべき謎は枚挙に暇がないが,中でも中央塔の基礎構造の解明は,古代の工学技術とその思想的背景を考える上で重要なカギを握っている。ボーリング調査によって基礎構造の一端が明らかになりつつあるが,私達から見れば「砂上の楼閣」ともいうべき基礎構造が800年にもわたり高さ40m以上の石積みの塔を支えてきたことを理解しなくてはならない。これが「私的」七不思議のその五である。古代の科学は現代科学と相剋するが,謙虚に見直すべく対象でもある。

 アンコール遺跡群と,話の起点であったプレア・カーンとは,ほとんど同緯度上に位置する。「王道」と呼ばれた幹線道路で結ばれたこれら両都市間には古代の採石場が残され,さらなる研究が待たれている。第六の不思議はアンコール建築の採石・加工・建設技術の解明にある。建造技法や施工体制に関する研究は建築史における重要な一側面であり,建築史の歴史学としての意味を考えるならば,建築生産にまつわる社会的背景の追求には重要な意義がある。

 こうして,プレア・カーンに端を発した長大な計画線は,一巡りして戻ってきた。神の視座からでしか全体を把握しえない巨大なこの幾何学図形を,なぜ,どのようにしてかつての治世者は表現したのだろうか。「私的」七不思議の第一の謎の全体像である。

残された最後の不思議は,古代アンコール帝国がいかにして生じたのか,そのビッグバンの解明である。近年,アンコール帝国の崩壊の理由を解明すべく多くの研究が走っている。比較的に安定した時代が続く現代において,文明崩壊への傾斜は歴史に学ぶべき切実な関心事である。しかし,あえて文明の崩壊よりもその生成の過程に光をあてた研究に取り組みたい。アンコール帝国の造形芸術はインド亜大陸からの多大な影響を受けたが,在地の要素との複雑な反応のもとに独自の地域性が育まれたことも確かである。同様の反応は周辺各国でも生じた。これらの探求を,カンボジアを始めとする東南アジアの若手研究者の育成や,遺跡の保存修復,そして日本人学生の文化交流を通じて取り組むことで,『私的』なエゴを越えられたらと思う。