
この記事は2025年1月25日~27日にかけてNan地方政府の支援の下、シラパコン大学Kreangkrai Kirdsiri教授の下に実施されたNan地域の遺産訪問のプログラムの経験に基づいて記したものです。
Nanにおける世界遺産申請の潜在的な可能性を検討することがこのプログラムの目的であり、3日間でNan地方における代表的な仏教寺院やストゥーパ、歴史都市の城壁や水路、旧王宮、博物館、そして先史時代の打製石器製作サイト(Phu Song, 15000 years old)、歴史時代の土器や陶器づくりの窯跡(Bo Suak, 14-15c)、さらにはBo Klua地方の伝統的な製塩集落を訪れました。

以下には、現在でも継承されている製塩の伝統を中心として、Nan地方における多数の文化資源を包括的に関連付けて、一つのストーリーを形成する試みを記しました。筆者の知識は限定的であり、以下の記述はBo Kluaにおけるある1名の製塩従事者(72歳、男性)からの短時間のヒアリングと、Bo Kluaより北方に位置するBo Nan(現在でも稼働)とBo Nan(昨年は稼働せず)の視察に基づくものであり、このアイデアは科学的根拠に基づくものではなく、仮説的なものです。既存の研究成果や知見を集約し、また今後の多様な分野からの調査によって製塩に関連する各側面を検証する必要があります。
1.伝統的製塩の技術的な特徴と多面的な価値

Bo Klua地方では長期にわたり(800年程前から?)製塩が行われてきたようです。当地の製塩は地下の塩水を直径70cm程の竪坑より汲み上げ、それを土製の竈上の大きな鉄釜によって熱して、水を蒸発させて得るものであり、比較的単純な仕組みであるように見えます。しかし、生産の効率性と塩野品質を高めるために、様々な技術が伝統的に蓄積されてきたと考えられます。煮沸の温度の管理や時間、塩水の汲み上げ時期、竪穴の掘削や管理技術、塩水の汲み上げ方法や窯までの運搬や導水方法には特徴があります。

製塩にかかる一連の作業に利用する道具は、おそらく大型の鉄釜等を除いては当地の自然資源を用いたものであり、その採取や収集は自然と共生的なもので森林破壊を招くものではなかったようです。大型の鉄釜を利用する以前は土器を利用していたと推測されますが、いつから鉄釜に変わったのかは不確かです。牛による塩の運搬には特徴的なかごが利用され、また燃料となる木材の収集は環境に低負荷な方法で持続的な方法であると考えられます。
製塩作業は当地に特徴的な自然崇拝と密接に結びついており、特定の儀礼を伴います。
2.製塩地の地形・地質的特徴

この地域の製塩手法は、山間地における岩塩から溶け出した高い濃度の塩分を含む地下水の採取によって可能となるものであり、地下の岩塩層の形成や塩水浸透のメカニズムを明確にすることが期待されます。あるいは既に研究されて、明確な理論が構築されているのかもしれません。
世界遺産の中でも文化的景観としての申請を想定する場合、自然と人の特徴的な相互作用を明確にすることが求められ、自然資源としての塩の産出の仕組みが特徴的であるかどうか明示する必要があります。また、ジオパークとしての申請を検討する場合には、地形・地質的な地域的特徴が必要とされるものであり、特にこの観点は重要になります。
3.製塩にかかる地域の社会的な特徴と多面的な価値

製塩従事者は特定の家族にのみ許されています。28家族が生産にかかる許可を継承しており、新たな生産者が加わることはできません。生産者は高齢化が進んでおり、将来を継承する人材は減少しています。一つの家族では1~5名が製塩に携わっているようです。生産者数の変化やそれに伴う生産量の増減、また商品とされる塩とその加工品の変化、塩の価格の決定方法や価格変動についても、製塩もしくは塩の社会的意義を捉える上で重要な指標となります。
製塩に利用された塩水を得られる井戸は9つであり、現在ではこのうち2~3の井戸のみが稼働しているようです。9つの井戸に対して、過去にはそれぞれ何家族が関与していたのか、また現在稼働している限られた井戸に対して、それぞれ何家族、何人が従事しているのか現況の利用状況を整理することが必要です。
井戸には近接して精霊信仰をまつる小さな木造の祠堂が付設されています。製塩作業は一年の中で決められたスケジュールに基づいて進められ、その過程で特定の儀礼が行われるようです。

各井戸には複数の木造の小屋が隣接し、それらの小屋の中で土製の窯が設置されて塩水を煮込んで水を蒸発させる作業が行われます。これらの窯は複数の製塩家族に対して共有の財産であるようです。今回の訪問では4か所の井戸を訪れましたが、井戸、祠堂、作業小屋の配置関係はそれぞれの場所で異なるようでした。今回の限られた訪問からは、職住が一体的な製塩住居と、住居と製塩所は分離し、かなり離れているケースがあることが理解されました。
また、こうした製塩の場所と従事する家族が住む集落の関係についても興味が持たれます。集落内での製塩家族の社会的な立場や、彼らの民家の配置関係等に特徴があるのか現時点では不確かです。もしかしたら、製塩従事の家族は社会的に高い階級を占拠していたかもしれません。
井戸-製塩小屋-製塩従事者の家屋-集落構造の空間的・社会的関係について、9つの井戸の周辺地域に対して包括的な調査を行い、共通する特徴を抽出することが期待されます。また、井戸を中心とする製塩地区の配置記録、製塩小屋の建築や道具の記録、製塩家族の民家を配する集落の配置構成、集落内における地域的特徴を有する住居や共同施設の記録等を進め、この地域に特有の要素を探していくことが期待されます。
4.塩の道の探求

生産された塩の多くは、Bo Kluaの集落から約80km南西に位置するNanの旧都市に運ばれたようです。その他の地域に運搬されたケースもあったかもしれません。集落からNanあるいはその中継地点までは6日間かけて牛によって運搬されたようであり、その運搬路と休憩地点、宿営地の特定が期待されます。運搬路が定められたルートであったのか、複数の仮設的なものであったのか、現時点では不確かですが、それらは塩の道として歴史的な意味があると考えられます。製塩集落の周辺は起伏の激しい地形で、牛による運搬は容易でなかったことが推測されます。運搬路は部分的に舗装され、また橋が架けられていたかもしれません。
経由地や宿営地でも塩は買い取られたようですが、そうした集落を特定することも意味があると考えます。もしかしたら、塩を直接買い入れることのできた経済的に有利な条件は、そうした集落に豊かさをもたらしていたかもしれません。


Nanの旧都市では塩を利用した二次的な製品が産出されていたかもしれません。Nanの旧都市から南方で発見されている土器や陶器づくりの窯跡(Bo Suak, 14-15c)では二重の口縁を有する特徴的な壺が生産されていました。これはこの土器の壺が魚と塩を混ぜた発酵製品を製造に利用されていた可能性を示唆するものです。こうした製品はNan川や陸路によって他地域に運搬され、この地域を経済的により豊かにしたかもしれません。塩そのものの消費地の特定には文献史料が不可欠ですが、こうした壺の消費地については考古学的な調査で明らかにできる可能性があります。

5.塩を富の源泉としたNan旧都市の形成

かつて塩は希少性が高く、権力者にとって貴重な資源であったと考えられます。当地より海岸までの距離が比較的に近いアンコール王朝であっても、塩を確保することは帝国維持における重要な課題であったと考えられ、塩の生産地であったコラート平原は戦略的に高い重要性を有していたと考えられています。塩がかなり高額な商品であったことは歴史時代の中国史料やクメール碑文史料から明らかです。NanはNan川に隣接することに加えて、内陸部に位置する拠点都市であるチェンマイとルアン・プラバンの中間地点に位置しており、交易の重要拠点であったと考えられます。また、かつてはスコータイを支える一都市であり、その他ミャンマーの勢力に併合された歴史もあるなど、長きにわたり歴史の表舞台に常にありました。この地域の重要性が、戦略的に重要な資源であった塩を後背地に有していたことに由来する可能性は少なくないでしょう。

製造された塩の一部は徴税されて納められており、塩を交易品とすることのできた商業ととともにこの地域の繁栄を支えていたと考えられます。実際にどの程度の塩が生産され、どの程度の割合が徴税対象となり、それが当地の拠点勢力をどの程度経済的に支えていたのかは不確かです。これらを明らかにする史料の有無についても私自身は知識を持ち合わせていません。しかしながら、もしも歴代のNan拠点勢力が得ていた塩に基づく経済的利益を明らかにすることができ、これが重大なものであったとすれば、塩を経済的に源泉とした人口集約と富の集中、そしてそれを原資とした宗教施設や王宮等の建設行為が発展したことの根拠になると考えられます。

Nanの旧都市には城壁や水路、宮殿、王室財産を管理する倉庫群が建造されていました。また、仏教寺院や仏塔(ストゥーパ)等の宗教施設もまた塩による富の蓄積に支えられていたのかもしれません。特に、この地域の仏教寺院は、多様な地域の建築的要素が混在した特徴的な配置やデザインであるものが目立ち、塩を商品とする各地との活発な交易が、各地の建築デザインを豊かに取り込み、ユニークな建築文化を形成することに寄与したと考えることができるでしょう。

6.顕著な普遍的価値の所在と有無に関する検証
今回、私たちは世界遺産をはじめとする何らかの文化資源を顕彰し、保護するためのプログラムへの登録の潜在的可能性の検討を開始しました。Nan地域における様々な文化資源の特徴や価値を統合して、複数のストーリーを描くことができるでしょう。ここでは塩の生産を基底とした包括的なストーリーを提案しました。これが世界遺産としてOUVを有するかどうかは不確かですが、検討を開始したばかりの上流地点(初期段階)においても、簡易的に他地域との比較研究を行うことは有効です。
比較研究では主に以下の観点での分析が有効であると思います。つまり、
a) Bo Kluaにおける塩の産出のメカニズム(地質学的特徴)は世界的あるいは東南アジアにおいてユニークか?
b) Bo Kluaにおける製塩技術は世界的あるいは東南アジアにおいてユニークか?
c) 人類史において塩を富の源泉とした王朝(権力・勢力)にはどのようなものがあるか?その中でNanのケースは他と比べてどのような特徴があるのか?

これらの観点での分析によって、もしも顕著な特徴が認められる可能性があれば、このテーマに基づいて世界遺産として検討を進めることができると思います。また、aに対して価値が認められるのであればジオパークへの申請を検討することも意義があると思います。こうした分析をより精緻に行うためには、建築学、考古学、地質学、民俗学、歴史学等の様々な分野からの研究が必要になることでしょう。
文化資源を接続して一体的な価値を模索する試みは、たとえ世界遺産等のゴールに到達しなくても、重要な成果をもたらします。検討のプロセスに多くのステークホルダーが参加し、ネットワークを形成し、持続的にこの伝統的な製塩技術を維持・継承・利用し、またその価値を伝達する新たな試みが進められるのであれば、学術的、社会的、経済的にとても有意義な活動になることでしょう。

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