Conservation Project of Sambor Prei Kuk

サンボー・プレイ・クック遺跡群保全事業

 サンボー・プレイ・クック遺跡群は,カンボジア中部に位置する7世紀の古代都市址です。アンコール・ワット建立の500年も前に築かれたヒンドゥー教寺院群が明るい木立の中に佇み,一辺2kmの方形の環濠に囲まれた都城が遺されています。東南アジアにおいては,同時代の遺構がほとんど失われた中にあって,まとまったかたちで歴史の痕跡が認められる貴重な考古学サイトです。 

サンボー・プレイ・クック遺跡群保全事業は,この遺跡群の研究,保存修復,そして文化観光開発に2001年より取り組んでいます。この遺跡群の全容を解明し,劣化・倒壊を食い止め,国内外のより多くの人々にその歴史や文化の痕跡を紹介し,そして地域住民によって愛される文化資源となるべく活動を進めています。

ここでは,遺跡群の歴史から,これまでの保全活動,研究の概要等を紹介します。

 


1.遺跡群の概要

2.遺跡群発見からの初期の保存活動

3.日本隊による調査と保存活動の開始

4.明らかになった遺跡群の全域

5.遺跡群におけるこれまでの研究

6.遺跡群の保存・修復活動

7.ユネスコ世界遺産への登録

8.研究や修復工事に関する論文や報告書


遺跡群の概要

 

カンボジアの中央に位置するサンボー・プレイ・クック遺跡群は,中国史書には真臘国と称された王国の首都〈イーシャナプラ〉に比定される7世紀の古代都市遺跡です。扶南という首長世界に始まるインドシナの歴史時代は,その骨格を徐々に整え,9世紀に建国されるアンコール王朝へと結実します。この過程において,インドを源流とするヒンドゥー・仏教の宇宙観が,その本土を離れ,カンボジアの地において忽然と具現化された最初の例が,ここイーシャナプラです。レンガ造の祠堂建築が複合的な宗教施設(伽藍)を形成し,後のアンコール・ワットやバイヨンというアンコール王朝の寺院建築の発端となりました。

 

この遺跡群にはアンコール時代に至って最盛期を迎える豊穣なクメール芸術の萌芽を,すでに様々なかたちで見ることができます。インド外来の文化を受容し,クメールの土着の文化へと変容させていく最初の過程が,この遺跡群の造営を通して創出されました。それは建築や彫像などの造形美術にとどまらず,伽藍構成や都市構造といった幅広い空間芸術の領域に及びます。

中国史料によれば,かつては扶南(フナン)の属国の一つであった真臘(チェンラ,しんろう)は,扶南の衰退と伴に徐々に国力を増し,質多斯那(チトラセナ)の代に至って,ついに扶南を併合したとされています。この最初の王都と見なされる伊奢那城(イーシャナプラ)の創建は,質多斯那の後嗣である息子の伊奢那先代(イーシャナヴァルマンI世)に帰せられています。

 

 

天空城(フライング・パレス)や怪魚マカラに代表される,その独特な建築・美術のスタイルはクメール美術史上,「サンボー様式」(610655年頃)として分類されています。しかしながらこれまでの調査研究の結果,この都は当初考えられていたよりも長期にわたって機能し続け,数代の王らによって幾度かの増改築の手が加えられていることが,次第に明らかになりつつあります。

 

 

寺院群を構成するプラサート・サンボー(北寺院),プラサート・タオ(中央寺院),プラサート・イエイ・ポアン(南寺院)のうち,プラサート・タオに唯一残された主祠堂は,「サンボー様式」よりも明らかに後世の造営と見られ,当初より研究者らに注目されてきました。美術史学的見地からは,これが「プレイ・クメン様式」(635700年頃)から「コンポン・プレア様式」(700800年頃)へ,あるいは「コンポン・プレア様式」から「クーレン様式」(825875年頃)への移行期に位置付けられるものと,意見が分かれています。

 

 

同様にプラサート・サンボー,プラサート・イエイ・ポアンに関しても,その造営年代をめぐる議論はいまだ決着を見ていませんが,近年の研究でこれらの寺院がどのような順序で築かれたのかかなり明らかになってきました。

 

遺跡に残された碑文や遺物にも,アンコール期,ポスト・アンコール期の痕跡が少なからず発見されています。プラサート・サンボーでは10世紀のラージェンドラヴァルマンII世時代の碑文が,また寺院区から北へ約2kmに位置するローバン・ロメアスではスールヤヴァルマンII世時代の碑文がそれぞれ確認されており,こうした明らかな証拠は,サンボー・プレイ・クックがアンコール期以降にもなお,重要な地方都市であったことを示しています。その史的解明には,さらなる調査研究が必要とされています。

 


遺跡群発見からの初期の保存活動

 

鬱蒼と茂る森の深奥に眠り続けていたサンボー・プレイ・クック遺跡群は,19世紀末にその存在が《発見》された当時,近隣の村の名前と「森」を意味する現地の言葉とを合わせて,このように命名されました。

 

 

20世紀初頭より,フランス極東学院(EFEO)による調査研究が着手され,これに併せて寺院区内の一部では,繁茂していた樹木の伐採,崩壊の危険が懸念される遺構への仮設的な保存処置などが実施されました。

 

しかし1970年代に入るとクメール・ルージュの内乱により,こうした保全活動は中断を余儀なくされました。それだけではなく,心ない人たちによる組織的な盗掘が相次ぎ,遺跡は急速に荒廃していきました。

 

  1990年代に入ってようやく,カンボジア文化芸術省による遺跡群の整備活動が再開され,1994年からは世界食糧基金の援助により,周辺村落に暮らす住民の参加による保全活動が実施されました。

 


日本隊による調査と保存活動の開始

 日本による調査隊は1998年,この遺跡に関する調査研究を開始しました。保全活動が行われていたにもかかわらず,遺構は著しく荒廃した状態にありました。また当時は,最寄りの町であるコンポン・トム市街からのアクセスもままならない状況でした。

 調査は遺構の現状記録,測量,広域踏査から着手されました。その結果,この遺跡群は従来の認識よりもはるかに大きく,多数の遺構が残存していることが,少しずつ明らかになってきました。また調査が進むにつれ,それぞれの遺構が極めて危険な状態にあることも改めて認識されるに至りました。樹木の生長による煉瓦造祠堂の倒壊,小規模ながら絶えることのない盗掘,周辺住民による土木遺構の破壊など,様々な事情が明らかとなったのです。

 こうした事態を踏まえて,事業関係者は2001年に「サンボー・プレイ・クック保全事業」を立ち上げました。遺跡内での草刈り,枝払い,支補工の設置,危険樹木の伐採,苑路の整備などのメンテナンス活動を開始したのです。

 


明らかになった遺跡群の全域

 

遺跡群内の踏査を継続することで,かつての古代都市の姿が解明されつつあります。サンボー・プレイ・クック遺跡群が伊奢那城に比定されているのは前述の通りですが,7世紀の漢籍史料『隋書』真臘伝(巻82)にはこの都市に関する記述が認められます。そこには,「郭下二萬餘家 城中有一大堂」とり,都城には2万戸もの家屋があり,大堂があったことが記されています。1戸あたり5人の住人がいたとすれば,10万人規模の都市があったことになります。

 

これまでの踏査により,サンボー・プレイ・クック遺跡群は,南北4km・東西6km以上に及ぶ範囲に遺構が散在していることが明らかになっています。ここには現在,7つの村落が含まれています。遺跡群は大きく2つのグループから構成され,オー・クル・ケー川を境界として,東側を寺院群,西側を都城址が占めています。

 

 

西側の都城址の周囲には,一辺を2kmとして,東に開かれた三方に環濠と土塁がめぐらされています。環濠に囲まれた,およそ正方形を呈するこの都城址の内部からは,煉瓦造祠堂を伴う50以上の複合寺院が確認されました。そのほか,都城址の内部および周辺には,古来の人工池や土手道,水路の痕跡が認められています。ここには,多くの居住者を抱える都市インフラが整えられ,農作物の余剰分が集約されていたのでしょう。

 

寺院区の東側には,プラサート・サンボー(北寺院)とプラサート・イエイ・ポアン(南寺院)の各周壁東辺から2本の参道となる土手が,現在のコンポン・チューティアル村まで約2kmにわたって延びています。往時の人々はおそらくこの参道を通って,トンレ・サップ川の支流であるストゥン・セン川から寺院を経由し,都城へとアクセスしたのでしょう。つまりこの都市は,陸と川との交通の接点であり,この都城に暮らした人々は様々な物資を広域から収集し,また送り出していたことと推測されます。


遺跡群におけるこれまでの研究

 

サンボー・プレイ・クック遺跡群保全事業は,1998年よりこの遺跡群の調査研究に着手し,現在までに200以上にのぼる新たな遺構の存在を確認しました。これにより,従来考えられていた遺跡群の全体像は大きく塗り替えられ,アンコールに先立つ大規模なこの都城址には,建築遺構の他,水路や溜池,ダムといった水利施設,古道などの土木事業の痕跡も数多く記録されました。詳細は今後の本格的な考古学調査を待たなければなりませんが,2km四方の環濠に囲まれた都城内には60以上もの煉瓦造遺構が確認され,古代都市の痕跡が良好な状態で埋伏していることが期待されます。

 遺跡群の全容は,20世紀前半に調査を行ったフランス極東学院のアンリ・パルマンティエによる記録から3/4世紀にわたり更新されることなく認識されてきました。1998年より開始された現地調査では,住民への聞き込みや踏査により多数の煉瓦造遺構が新たに記録され,その地域的分布も広域に及ぶことが明らかとなりました。踏査結果はGPSによって位置情報が加えられ,正確な図面として整理されています。

また,あわせて実施された表採調査からは土器片や瓦片等も多数収集されました。遺跡群は平坦な土地にありますが,ミクロには起伏も多く,地下に埋伏している遺構が現地表の起伏を形作っていることが予想されます。ハンドオーガーによるボーリング調査や発掘調査によっても地下のそれほど深くないレベルに遺構が多数確認されています。

これまでにも航空写真にもとづいた立体図化法による地形図の作成を行っていますが,樹林におおわれた地区も少なくありません。近年実施された航空測量調査(LiDAR)では詳細な地形データが確保され,踏査によって認知することができなかった微細な痕跡も把握することが可能となりました。

 

 【遺構目録の作成】

 踏査によって確認された各遺構は目録として整理されています。これまでに130サイト,280以上の煉瓦遺構が登録されました。その多くはヒンドゥー教の神像を祀った祠堂と考えられますが,残念ながらほぼ全ての遺構では過去に盗掘の被害を受け,埋蔵された鎮壇具や尊像は遺失してしまいました。さらに,現在では遺跡群内で開拓が進む耕作地の拡張によって,さらなる破壊が進む危険もあり,こうした遺構の保護のためにこの目録は重要な記録となっています。

 

 【遺物目録の作成】

 重要な彫刻装飾を施す建築部位や神像・台座等は砂岩材によって形作られています。こうした遺物は既に博物館や倉庫に運び込まれて保護されているものもありますが,未だに現場に放置されているものも少なくありません。また,原位置が特定されていない遺物も多く,これらの当初位置を確定することも重要な課題です。保全事業では,これまでにコンポン・トム州博物館,コンポン・トム州文化芸術局,遺跡現場倉庫,遺跡群内の放置遺物,出土遺物等,計700以上の遺物を記録し,目録として整理しています。また,目録の作成と併せて,重要遺物については倉庫への移動,保管を行いました。

 

 【図面記録】

遺跡群内の煉瓦造遺構の中には,かなり上部まで残存しているものもあり,東南アジアにおける同時代の遺構のほとんどが崩壊し,基壇のみが地下に埋蔵されている状態の建築遺構となっている中,極めて貴重なまとまった事例となっています。興味深いのは,すべての遺構が異なるデザインによって設計されていることで,アンコール時代初期には同一の規格化された祠堂が一つの伽藍内に立ち並ぶようになる前段階のこの遺跡群では,個別に各祠堂がデザインされています。源流となっているはずのインド建築との比較や,将来的な保存修復工事の基礎資料としても,現存状態の正確な記録は不可欠です。

高精度GPS,トータルステーション,三次元形状スキャン,写真測量等を併用し,遺跡群全域の配置図から,寺院の平面図,各祠堂の平立断面図,そして重要な台座の図面等を集成しています。

 

 【考古学発掘調査】

 遺跡群内の各所でこれまで発掘調査を行ってきました。遺跡群内でも最も中心的な寺院であるプラサート・サンボー,遺跡群西側の都城内各所,遺跡群北側のローバン・ロミアス寺院の境内等が主要な発掘調査の地域です。

プラサート・サンボー寺院内の発掘調査からは,寺院が建立された当初の姿が明らかになるとともに,建立以降の様々な増改築の痕跡が確認されています。

 都城内では数カ所で発掘調査を実施していますが,いずれの地区でも地下50cmから2m程で何らかの遺構,もしくは遺物が出土しており,地下には良好な状態で往時の生活層が遺されていることが明らかになっています。都城の中央に位置するM90と番付された遺構の調査では,王宮もしくは官衙施設に関連する都市内の主要遺構であったことが推測されるに至っています。

ローバン・ロミアス寺院は,プレアンコール時代の遺構と,10世紀から11世紀にかけてのアンコール時代の遺構とが混在しており,興味深い構成です。やはり1mほどの堆積土に境内は覆われており,今後の本格的な発掘調査が望まれるところです。

その他,多数の地点で今後の調査が必要とされており,計画的に調査を進展していく予定です。

 

 【都市の活性期や寺院の建立・改変時期を解明するための年代分析】 

 古代都市の空間構造の解明に加えて,この都市が成立した時代,使用された時代,そして最終的に放置された時代を明らかにするために年代分析を行っています。発掘調査や,環濠や溜池等のボーリング調査によって採取された炭化物による年代測定を行っています。

 

 

 

 また,各寺院には複数の煉瓦造の祠堂が建立されていますが,これらの祠堂がどのような順序で造営されたのか,研究を進めています。建築形式や碑文の記述,内部に安定されていた彫像の形式,そして煉瓦の化学組成や石材の帯磁率といった材料分析などを通じて,総合的な検討を行っています。

 

【出土遺物の分析】

 表採調査や発掘調査によって収集された土器や瓦,陶磁器片の記録・分析を行っています。アンコール時代の在地の土器編年は,近年様々な研究グループが取り組んでいますが,それよりも前時代の遺物分析については事例が少なく,サンボー・プレイ・クック遺跡群で出土しているまとまった遺物は重要な分析試料を供しています。しかしながら,年代決定の指標となる中国陶磁器の主要な流通年代が9世紀からであることもあり,その分析は容易ではないのが現状です。


遺跡群の保存・修復活動

 サンボー・プレイ・クック遺跡保全事業では,遺跡群を恒常的に維持していくための草刈り,枝払い,危険な樹木の伐採,サポートの設置といったメンテナンス作業を,2001年より継続的に実施しています。

 

 メンテナンス作業によって,現在まではかろうじて崩壊を免れつつありますが,煉瓦造による遺構は放置されれば直ちに荒廃への歩を速めます。2006年には記録的な大雨の際にプラサート・イエイ・ポアン寺院の煉瓦造祠堂が崩壊し,室内に安置されていた石製台座が大破するという事件もありました。

 

 プレ・アンコール期に比定される1300年以上も前の遺跡群でありながらも,現在まで比較的良好な状態を保ってきたのは,この地域がアンコール期,ポスト・アンコール期に至ってからも,クメール王朝の重要な地方拠点の一つとして機能し続け,信仰の対象とされてきたからであったと推測されます。

 カンボジアにおける優先的な課題は何よりも貧困の撲滅であり,初等教育の向上や医療環境の整備,基礎インフラの構築などが,今なお急務となっています。その一方で,国民の真の復興努力を精神的に支えるものこそ,彼らの文化的アイデンティティの根幹をなす歴史的遺産の保護であり,そういった意味でこのプロジェクトには大きな意義があると私たちは考えています。かつては信仰が遺跡を護る力でありましたが,現在では国境を越えて歴史や文化を理解する心が遺跡を保護する原動力となっているのです。

 

サンボー・プレイ・クック遺跡群の存在が明らかとなった19世紀末,ここはまだ深い森に覆われていました。20世紀にはいり,フランス極東学院(EFEO)によって考古学的・建築学的調査が開始されますが,続く悲惨なポルポト時代の到来は,こうした調査に中断を余儀なくさせるものでした。ヴェトナム戦争下ではこの地にも爆弾が投下され,ポルポト政権時代以降も荒廃の一途をたどりました。のみならず,近年には激しい盗掘が遺構に深刻な損害をもたらし,堂塔の基壇下に埋蔵された古来の鎮壇具さえも,こうした被害を免れませんでした。

 煉瓦造遺構は適切な処置が施されない限り,すぐさま崩壊の危機に直面してしまいます。それらの主な原因は,植物の密生や不同沈下,また爆破や盗掘といった人為的な破壊行為です。 

こうした深刻な状況の中,アンコール保存事務所は内戦後に保存修復活動を再開しました。また国連世界食糧計画は1990年半ばから2001年にかけて,労働の対価として食糧を配給することにより,同遺跡のメンテナンス活動を行いました。

 

 「サンボー・プレイ・クック遺跡群保全事業」は2001年に国連世界食糧計画の支援が中止された中,この遺跡を保護するために立ち上げられました。中でも重要な活動は,定期的な草刈り,枝払い,危険樹木の伐採,安全のための支補工の設置をはじめとする,様々な保全処置を実施することで,トレーニングされた周辺住民の参加により,これまで10年以上にわたり活動を継続しています。

 

 【石製台座の修復】

 祠堂内には本来,台座が据えられ,その上に神像が安置されていました。しかしながら,いつの時代か,これらの神像の多くは破壊され,祠堂の地下に埋蔵されていた宝物を盗掘する集団により,室内の中央に位置する台座もまた壊されてしまいました。1990年代には,盗掘孔が各祠堂の中には大きく口を開けていましたが,文化芸術省の指導のもと,それらの孔は埋め戻されました。しかしながら,埋め戻しの際に,破壊された台座片の多くが盗掘孔に投げ込まれるという事態に陥りました。

 

  保全事業では,各祠堂内の埋め戻し孔を再度掘り下げ,台座片を収集し,それらを再び原位置に組み直し,場合によっては新材を加えて修復する処置を進めてきました。プラサート・サンボー寺院内のN1, N7, N8, N10, N14-2, N22塔,そしてプラサート・イエイ・ポアンのS1塔はこうした保存修復処置によって,室内に当初の台座を安置するに至りました。さらに,プノンペン国立博物館に展示されているこの遺跡群より出土した彫像である,ドゥルガー像をN9塔内に,ハリハラ像をN10塔に,ブラフマー像をN22塔にそれぞれレプリカを作成して設置し,当時の姿を取り戻しました。

 

 【煉瓦造遺構の修復】

 在カンボジア日本国大使館からの「見返り資金」による支援のもと,倒壊の一途をたどっていた煉瓦造祠堂の修復工事に必要な各種資機材の調達が2009年に実現しました。以降,2017年にかけてプラサート・サンボー寺院内の煉瓦造祠堂であるN14-1塔と中央テラス,N1塔の修復工事を行いました。

煉瓦積みは侵食する樹根によって大きく変形し,抜本的な保存処置のためにはそれらの樹根を一つずつ全て取り除かなくてはならず,困難な作業を強いられます。特に,20m四方の中央テラスには複数の大樹が根を伸ばしており,それらお除去する作業は多大な時間を費やしました。

 

 

N1塔では,扉開口部周りは大きく変形し,雨季には上部の煉瓦の崩落が断続的に生じていました。こうした危険箇所を一部解体し,補強材料を加えたうえで再度組積する作業が実施されました。煉瓦部材は可能な限り個別に接着修復するものとし,再組積の際には新たに開発準備したモルタルを使用しました。

 

 遺跡群内には多数の崩壊の危機に瀕した遺構があり,現在の予算や人員規模では必要とされる仕事には到底及ばない状況です。長期的な保存修復工事の継続が切に望まれます。

 


遺跡群の文化的観光のための整備

 

2004年には「サンボー・プレイ・クック保存開発協会」が設立されました。遺跡地区内に暮らす住民らによって構成されるこの協会は,遺跡の救済活動の発展に取り組む一方で,ここに自然との見事な調和を残すかけがえのない文化遺産の存在を,より多くの人々へと伝えるために,観光客の誘致に向けた試みに取り組んでいます。

 

 

【住民参加型の観光整備】

 

保全協会では今後さらに遺跡のガード,観光案内,苑内移動用の自転車や牛車のサービスなどを進めていく予定です。私たちは住民と協力して,これらの諸活動から得られる利益を遺跡の保全と住民の生活向上のために利用する仕組みづくりを目指しています。それなしには、ここに守られてきた伝統と自然環境を維持していくことが不可能だからです。現在進められている全ての活動は,遺跡の史的価値を高めるだけでなく,地元に暮らす人々の伝統的生活を維持し,また向上させていくための,自助的な取り組みへの支援でもあるのです。

 

 

【ローカルクラフト再生活動】

 

ドイツ経済協力省の委託を受けたドイツ技術協力公社(GTZ)の支援により,地域の伝統文化再生を目指すクラフト事業を行っています。これまでに約20名の村人が,かご細工などのクラフト技術を習得しています。

 

 

【ガイド・トレーニングとガイドシステムの構築】

 

 外国人観光客への遺跡案内ができるガイド・トレーニングを,地域の若手選抜メンバーに対してこれまでに何度かの機会にわけて実施しています。幸いにも遺跡群付近には英語教育が充実した高校があり,遺跡を勉強するためのクラブ活動なども行われています。こうしたメンバーを主に対象として,遺跡の歴史や見どころに,加えて地域の生活や伝統行事なども含めた紹介ができるようにすることを目標としています。

 

これまでのところ,シェムリアップやプノンペンからはガイド同行で訪れる観光客も多く,なかなか安定した現地ガイドの仕組みが設けられずにいる現状もあり,トレーニングを受けているガイドが持続的に仕事できる環境づくりにもあわせて取り組んでいくことが求められています。

 

 

【ホームステイプログラムのサポート】

 

 遺跡群内外には7つの村落が点在しており,それらの村落内に滞在するためのホームステイのサービスが近年開始されました。外国人観光客とすれば,カンボジアの田舎生活体験を期待するものの,やはり住民生活そのものを生で体験するのは衛生的にもハードルが高く,特に夜間の体験コンテンツの充実化等が課題となっています。

 

 

【道路整備と駐車場・遺跡管理施設】

 

 2012年より2014年にかけてアジア開発銀行の支援により,遺跡群を通過する道路舗装整備ならびに駐車場・遺跡入場管理施設・地域物産の販売のためのマーケットの建設工事が実現しました。道路整備や各種施設の建設に先立ち,考古学的発掘調査や遺構の分布確認などが行われ,地下遺構への影響のない地区が精査されました。

 

 遺跡管理施設には観光客へのインタープレテーション・センターのスペースも予定されており,当事業では展示コンテンツの制作などに協力してきました。

 


ユネスコ世界遺産への登録

 

 カンボジア国内では1992年に登録されたアンコール遺跡群,2008年に登録されたプレア・ヴィヘア寺院が世界遺産に登録されました。サンボー・プレイ・クック遺跡群はカンボジア第三目の世界遺産として2016年に世界遺産に登録されました。

 

 世界遺産への登録準備を通じて,遺跡群の保全や活用において,大きく前進することができました。特にカンボジア政府による自立的な保存体制が構築され,サンボー・プレイ・クック国立機構が設置されたのは大きな成果です。登録以降,この組織により,遺跡群内のメンテナンス,保存修復工事,整備事業が確実に進められるようになりました。日本隊もまたサンボー・プレイ・クック国立機構と連携して,遺跡群の研究・修復・人材育成に取組んでいます。