
都城アンコール・トムに引き続き、カンボジア政府文化芸術省と共同研究事業となるバンテアイ・チュマール遺跡群での調査を行いました。この遺跡は12世紀後半にアンコール王朝の地方拠点として築造されたもので、王都アンコール・トムとはTwin City(双子の都市)と位置づけられる遺跡です。

今回の調査では、以下3つのテーマに取り組みました。
1)遺跡群内に8基配置される衛星寺院の一つPr. Ta Naem寺院での考古学調査、
2)巨大貯水池バライと中央寺院環濠におけるボーリング調査、
3)中央寺院と二基の衛星寺院の三次元形状記録
1)マンダラの都市計画? 衛星寺院の目的とその機能に迫る

この遺跡の魅力は、何といっても壮大な“都市設計”の思想にあります。中央の大寺院(伽藍)を中心に、東西南北の軸線上に配置された8つの衛星寺院。まるで仏教の宇宙観「マンダラ」を立体的に表現したような構成は、見る者を圧倒します。
その中でも、中心から比較的近い4つの衛星寺院は、どれも似たような平面形式を持ち、「Hospital Temple(施療院)」と呼ばれる特殊な寺院タイプとの関連が指摘されています。
アンコール帝国が各地に造営したこの形式の寺院は、宗教的儀礼だけでなく、医療や福祉的な役割を担っていたとも考えられています。

しかし長い歳月の中で、これらの寺院の多くは崩壊が進み、境内には厚く土砂が堆積しています。果たして、これらの寺院は本当に「病院」だったのか? そして、どのような構造をしていたのか?

その謎に迫るべく、私たちは2025年3月に西側の衛星寺院「Pr. Ta Naem」で発掘調査を実施しました。並行して、**地中レーダー探査(GPR)**も行い、寺院の内外周壁に沿って埋もれた構造物の広がりや地形の変化を可視化しました。特に外周壁の外側では、空き地を活用してできる限り広範囲に探査を行いました。

調査によって少しずつ明らかになってきたこの寺院の姿は、バンテアイ・チュマール全体の宗教都市としての計画や機能、さらにはアンコール王朝の思想そのものを理解する手がかりとなります。
2) 湖底から歴史を掘り起こす—バライと環濠でのボーリング調査

遺跡の石造建築だけが歴史の証人ではありません。都市の環境を支えた水利施設にも、当時の人々の暮らしや都市計画の痕跡が残されています。今回は、バンテアイ・チュマール遺跡群の貯水池バライと中央寺院を囲む環濠において、ボーリング調査(湖底土の採取)を実施しました。
バライ(貯水池)は、「アン・メボン」とも呼ばれる中央小島を中心に広がる巨大な人工池。私たちは、南西の水路入口から離れた北東部を調査対象とし、ハンドオーガー(手動掘削機)を使って、船上から湖底の堆積土を採取しました。ここは人為的なかく乱が少なく、湖底環境が比較的安定していると推定されたエリアです。

また、中央小島にあるPr. Mebon(メボン寺院)を囲む二重の環濠においても、同様にボーリング調査を実施。いずれの水域も水深は50cmから2m弱と浅く、各地点で約50cmの堆積層を回収しました。
興味深いことに、得られた堆積土の多くは白っぽい砂質土で構成されており、有機物の保存状態はあまり良くないことが分かりました。これは、土壌内での有機物分解が速く、過去の植物遺体や花粉などがほとんど残っていないことを意味します。

続いて、中央寺院を囲む環濠でもボーリング調査を実施しました。南側の環濠は、現在でも水の流入出があり、また過去に浚渫(しゅんせつ:底の土をさらうこと)された可能性が高いエリア。一方、北西部は睡蓮が密生していて作業が難航。そこで、今回は比較的静穏な北東象限を選んで調査を行いました。
こちらでは、1.1m〜2.5mの水深から湖底堆積物を採取。その多くはやはり砂質土でしたが、一部には黒色の土層が現れ、植物遺体が確認できる貴重な層も見つかりました!
これらのサンプルは、今後日本に持ち帰り、花粉分析・珪藻分析・粒度分布・年代測定といった精密な実験分析を進めていきます。目には見えない微細な情報から、過去の気候や植生、水利用の変遷を読み解くことができるかもしれません。
3) デジタル形状記録で遺跡を未来へつなぐ

広大な敷地には、壮大な中央寺院をはじめ、方位に沿って配置された8基の衛星寺院、貯水池バライとその中央小島の寺院、さらには都市を支えた複雑な水管理施設群など、多彩な遺構が点在しています。
しかしながら、現在遺跡に残る石造建築の多くは著しく崩壊した状態にあり、今なお倒壊のリスクを抱えています。一部では再建修復工事も進められていますが、遺跡群全体としては依然として記録と保全が急務となっています。

これまでに作成されてきた各寺院の平面図は、現地の実態と必ずしも一致しておらず、今後の修復工事や学術調査の妨げになる恐れもあります。そのため、高精度の測量データに基づく現状図面の作成と、それに基づいた復原図の検討が求められています。
そこで私たちの調査隊では、最新の三次元計測技術を駆使して、遺構の記録に取り組んでいます。

3つの記録手法を総動員して!
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固定式レーザースキャナーによる高精度計測
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移動型のSlam LiDARによる機動的な記録
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ドローン写真測量による空中からの広域把握
これらの技術を組み合わせることで、崩れかけた石積みや複雑な地形も、立体的かつ正確にデジタル記録することが可能になります。

2024年には、衛星寺院のひとつPr. Ta Naemと、バライ中央小島のPr. Mebonにて記録を実施。そして2025年には、いよいよ中央寺院全域と、北側の衛星寺院Pr. Ta Phaiの記録へと調査を拡大しました。
取得した三次元データは、次のような形で活用することを計画しています:
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現状図面や復原図の更新
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崩壊や変形の兆候を見逃さない挙動観測・安全管理
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修復設計や考古学的分析の基礎資料
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デジタルアーカイブの構築や、将来的なバーチャル公開

さらに、これまで蓄積されてきた図面・発掘記録・修復履歴などの既往研究の統合と、将来に向けたオープンアクセス型の情報共有システムの構築にも取り組んでいます。
遺跡はただ「保存する」だけでなく、記録して、理解し、未来へつなぐもの。バンテアイ・チュマールでの三次元記録調査は、まさにその第一歩です。

バンテアイ・チュマール遺跡群における今回の一連の調査は、アンコール王朝の地方都市がどのように築かれ、維持されてきたのか、その実像に迫る貴重な手がかりをもたらしてくれました。考古学調査、ボーリング、三次元記録といった多角的なアプローチを通じて、これまで断片的だった遺構の理解が少しずつつながり始めています。

今後も現地の専門家や学生との協働を深めながら、持続可能な保存と国際的な学術連携を進めていきたいと考えています。歴史の中に埋もれてきたこの「双子の都市」が、未来に向けて新たな語りを始める日もそう遠くはないかもしれません。
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